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タイボアン文化の花開く「日光小林」団地

タイボアン文化の花開く「日光小林」団地

◎文/侯雅婷

◎翻訳/有田夏子

 

 

 台風モーラコットの災害から十年、日光小林団地に移住した小林村の人々の間には、「私たちが生きている限り、小林村も文化も永遠に消えない」との共通の思いがある。小林村には平埔原住民であるタイボアン族の出身者が多かったことから、住民たちは高雄と台南に17世紀から伝わるタイボアン族の文化をベースに、自身たちの文化を育てていくことを決心した。今回、筆者はタイボアン文化の花開く日光小林団地を訪れた。

 2009年、台風モーラコット(日本名:平成21年台風第8号)が台湾南部を襲い、高雄市甲仙区の小林村は土石流の下敷きになった。生き残った住民たちは約1千ヘクタールの大自然に囲まれた故郷を離れ、甲仙区五里埔の「小林一村」、杉林区の「小愛小林」、そして杉林区の「小林二村」(別名「日光小林」)の3か所に分かれ住むことになった。災害後、小林村の人々を勇気づけようと、日本の友人からヒマワリの花が贈られた。ヒマワリのように、日の光に向かって力強く歩んでほしいとの願いを込めたのだ。この贈り物が、「小林二村」が「日光小林」と名付けられるきっかけとなった。

大満舞踊団

 2011年12月、日光小林団地の落成と同時に、タイボアン族の歌と踊りをパフォーマンスする「大満舞踊団」が設立され、7歳から74歳の住民たちが団員として参加した。日光小林団地の発展総幹事を務める王民亮さんによれば、団員たちは村の年寄りたちに教わったり、日本統治時代に残された録音を聴いたりしながら、部族に伝わる伝統音楽を学び、また振り付けには村の年寄りたちの生活の動きを取り入れたという。部族の人々の生活こそが、タイボアン文化そのものだからである。

 住民たちは、災害時に支援をしてくれた人々への感謝を忘れることなく、大満舞踊団の公演を通じてその愛と思いやりの心を広めていきたいと考え、2014年には舞踊団が日本の岩手県へ赴き、東日本大震災の被災者のためにチャリティー公演を行った。公演が終わると、出演者と観客はたがいに肩を抱きあって涙を流した。その場にいた徐銘駿さんは、言葉はわからなくとも思いやりの心が通じあい、涙が自然にあふれ出てきたのだと回想した。また、団長を務めた王民亮さんは、公演で癒されたのはまぎれもなく自分たちのほうであったと言う。幕が降りた後、80歳近い男性が話しかけてきたが、言葉が通じず、何をいっているのか分からなかった。すると、その男性が墨に濡れた一枚の紙を手に戻ってきて、団員に手渡した。その紙にしたためられた「絆」という言葉が日本語で厚い友情を意味するものだと知って、団員たちは感激したという。

 今年9月20日、大満舞踊団は高雄市衛武営国家芸術文化センターでの公演を果たした。舞台には三つの団地から集まった50人の部族出身者が参加し、タイボアン伝統の華やかな歌と踊り、そして太鼓パフォーマンスを披露した。

ふるさとの植物を復興する

 タイボアン部族の音楽を広めていくことに加え、その文化を記録していくこともまた重要な取り組みの一つだ。徐銘駿さんは2015年から2018年にかけて「日光小林」のまちづくり委員を務め、村の年寄りの口伝を記録し、文書記録を整理し、またフィールドワークによる実地調査を進めた。なかでもフィールドワークに携わるうちに人と土地、植物と文化の間に横たわるつながりを発見したことで、タイボアン部族の復興からふるさとの植物にも目を向けるようになった。そして部族の仲間や老人たちとともに故郷の山に登り、土地の植物を探しては団地へと持ち帰った。今では50種類を超える植物が日光小林団地に花を咲かせている。

 日光小林団地から故郷の村までは車で一時間以上かかる。だが、住宅のそばにふるさとの植物を植えれば、住民たちは昔の村にいるような気持ちになれると、徐さんは語る。それに、ふるさとの植物はタイボアン族の食や工芸品、建築、文化とも深くかかわりがあるのだ。例えば、開散穂型のコーリャンは酒の醸造に使われるほか、もち米と混ぜて餅を作るのにも使われる。苧麻は編んで袋に、ノゲイトウやトサカケイトウの花は編んで花冠にする。カンチクは、タイボアン族の祖先の霊を祭る「公廨(クパ)」と呼ばれる祠を作るのに使われる。また、カンチクとイエローラタンは、「魚笱」と呼ばれる筌を作る材料となる。華薊(アザミの一種)の地下茎を煮込んで作ったチキンスープは、彼らにとって懐かしいふるさとの味だ。

 今は団地の裏庭を利用して植物を育てているが、このままでは場所に限りがある。そこで、徐さんたちは植物の育成を続けながら、いずれここに民族植物園を開きたいと考えている。

 文化継承の責任は重く、その道のりは遠い。王民亮さんによれば、「夜祭り」は小林村の重要な祭典であるが、しきたりに詳しい年寄りたちはいずれも台風の犠牲になってしまったという。今では参加経験のある老人たちが中心となってこの伝統を維持している。

 日光小林団地では、年寄りたちが伝統技術の継承に力を入れており、部族に伝わる刺繍、袋網、魚とり網などの作り方を教える講座も開かれている。

 日光小林発展協会が企画する「日光小林団地ミニツアー」に参加すれば、タイボアン族の生活と文化に触れることができる。現代に生きるタイボアンの伝統文化を、あなたもぜひ体験してみよう!

     日光小林団地発展協会
    ※「日光小林」ミニツアーのご予約はこちらまで  
住所:高雄市杉林區忠義路1號
電話:(07)677-5186

 

 

日光小林部落 文化芬芳

◎照片提供/日光小林、大滿舞團、高雄市政府文化局

 

  莫拉克風災至今10載,落腳於「日光小林」部落的小林村族人建立共識:「只要人還在,小林村與文化就永遠不會消失!」小林部落居民大多為平埔原住民大武壠族人,於是「日光小林」部落小林村人著手復興大武壠族文化,自17世紀即存在於高雄和台南的大武壠族文化成為「日光小林」部落的文化底蘊。走訪「日光小林」部落,看見大武壠族文化氛芳。

  2009年,莫拉克颱風肆虐南台灣,位於甲仙區的小林村淹沒在土石流洪流中,失鄉的小林村族人只得告別原鄉部落周圍廣達1千公頃的自然環境,搬遷至三地:甲仙區五里埔的「小林一村」、杉林區的「小愛小林」亦或是杉林區的「小林二村」(又名「日光小林」)。風災過後,日人贈予小林部落向日葵,鼓勵小林人有如向日葵般堅毅、迎向陽光,「小林二村」居民於是改名「日光小林」。

大滿舞團

  2011年12月,日光小林部落落成,同一時期,日光小林成立「大滿舞團」,成員年齡從7歲到74歲,表演大武壠族古謠和舞蹈。日光小林社區發展總幹事王民亮先生談起,部落老人家教唱古謠,團員取得日治時期的錄製大武壠族古謠錄音,聽著錄音將古謠學回來。而大滿舞團的是把部落老人家生活上的動作,編成舞蹈,部落族人的生活體現大武壠族文化。

  風災過後,小林村人對於各界關懷銘刻在心,期盼透過大滿舞團的表演,把愛傳出去。2014年,大滿舞團前往日本岩手縣為311災民義演,團員徐銘駿先生說,表演完,團員與觀眾互相擁抱,儘管有著語言的藩籬,但感受到彼此的關心,為彼此加油,都感動的哭了。團長王民亮坦言,參與311義演,被療癒的其實是自己。王民亮憶起,一位年近8旬的爺爺,看完表演,說了很多他們聽不懂的日本話,不久老爺爺折返,拿了張墨漬未乾、以書法書寫的「絆」字贈送予團員。日文漢字「絆」字喻意深厚的情誼,讓團員們深受感動。

  今年9月20日,大滿舞團登上衛舞營國家藝術文化中心,此次動員三個部落50位族人同台獻藝,帶來精彩的大武壠族古謠、舞蹈以及大鼓陣表演。

復育部落植物

  大滿舞團巡演讓大武壠族古謠被聽見,但把大武壠族文化以書面形式紀錄下來也至關重要。徐銘駿2015年至2018年,擔任「日光小林」的部落營造員,紀錄耆老的口述訪談、蒐集來的文獻資料和田野調查紀載下來。徐銘駿也從田野調查發現人與土地、植物和文化之間的連結,大武壠族文化復興的觸角延伸至復育部落的植物。徐銘駿和族人跟著部落老人家回到山上找尋存在舊部落山林的傳統植物,再移植回「日光小林」聚落,目前移植逾50種的原鄉植物至「日光小林」庭院。

  徐銘駿說,日光小林部落距離原鄉單程至少一小時車程。生活空間周邊種植部落植物讓族人感覺並沒有疏離部落文化,此外小林部落的傳統植物與大武壠族的飲食、工藝、建築和文化習習相關,比如散穗高粱用於釀酒,高粱加糯米搗製麻糬;苧麻用來編織網袋;青葙與雞冠花用來編織花冠;刺竹用來搭建公廨(大武壠族人祭祀祖靈的場所);刺竹和黃藤則用來製作「漁笱」(補魚器具);華薊的根莖用來燉湯,一鍋華薊雞湯是彼時原鄉小林人的家鄉味。

  囿於日光小林聚落每戶人家的後院有限的空間,徐銘駿和族人持續復育存在於部落的植物,企盼有天日光小林能有一座民族植物園。

  文化傳承,任重道遠。王民亮有感而發的說,夜祭是小林部落最重要的祭典,負責舉辦夜祭的長輩都不幸在風災時去逝,風災過後舉辦夜祭時,曾參與夜祭的長輩帶領族人,繼續舉辦小林夜祭。 小林部落精通工藝的長輩傾囊相授傳統部落技藝,包括網袋、刺繡、竹編等工藝。日光小林聚落也開班培訓族人的刺繡、編織傳統網袋、製作漁笱(補魚器)等技藝。

  日光小林社區發展協會推出部落小旅行,誠摯的歡迎您造訪日光小林部落,感受大武壠族豐富的文化流轉在生活的各個面向。

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(07)677-5186