静謐な風景と強靭な生命――永安、永らく加護を受けてきた安らかなる民
静謐な風景と強靭な生命――
永安、永らく加護を受けてきた安らかなる民
◎翻訳/楊蕙寧(ヨウ ケイネイ)
◎撮影/連偉志
永安に足を運び、現地のコミュニティや海岸、砂浜沿いを散策すれば、養殖池の水車がくるくると回り、猫や犬たちはぶらぶらと歩くかあるいは道端で横になっている。風を受けて果てのない海に向き合えば、永安というその名が示す通り、人々はゆっくりと景色の中に沈み込み、やがてあたりは静寂に包まれていく。
肉質プリプリの永安産ハタ
海に面した永安には「ハタの道」と呼ばれる可愛らしい名前の道がある。その名を聞けば、頭の中にはハタが海から飛び出して、食卓に飛びのってくる鮮やかな光景が浮かんでくる。永安に暮らす多くの人々にとって、ハタは貴重な収入源でもあるために、当地は「 ハタの郷」とも呼ばれている。永安で行われているハタの養殖では、他にはない「ダイアモンド水」が使われている。養殖業者の黄世禄氏に案内され、彼が管理する養殖池を訪ねてみると、「ダイアモンド水」とは中国石油会社が零下一六二度の液化天然ガスを加熱させた冷却排水であることが分かった。排水温度はおよそ十五度、養殖池に混ぜて海水を最適温度に調節することで、ハタは皮膚病に感染することなく快適な生活を送り、その肉質は繊細かつぷりぷりになる。ハタ養殖のコストの高さに話が及ぶと、黄氏は冬の低温がハタに与える影響を心配していると述べた。しかし、昨年から興逹発電所が学者たちと協力して、発電所からの排水を使って池の温度を調節することによって、ハタによりよい養殖環境を提供する研究が始まっているとのことだった。
湿地になった塩田
永安ではバードウォッチングを楽しむことも出来る。しかも、絶滅危惧種の珍鳥であるクロツラヘラサギを見ることも可能だ。暖かい日射しの冬の朝、望遠鏡を持って永安湿地を訪れれば、そよ風が水面を撫で、周囲からは鳥の鳴き声がこだましている。シラサギやセイタカシギは悠然と低空を飛行して、水面に餌を求めている。遠目にはクロツラヘラサギが群がっていて、羽を整えている者もいれば遊んでいる者もいる。決して彼らを驚かさないように、遠くから静かにその美しい姿を鑑賞するといい。
三十五年前まで、ここに湿地は存在していなかった。当時太陽の下でキラキラ輝いていたのは白い結晶で、足に触れるのは瓦の欠片で作られた道だった。かつてここは「 高雄塩場」と呼ばれていた。一九〇八年、高雄の富豪陳中和氏はこの地を購入して「烏樹林製塩株式会社」を設立、二階立てのバロック建築をそのオフィスとした。永安湿地の向かい側にあった塩田村は、当時塩を作る職人たちが住む村だった。台湾式の赤レンガの家々は石とセメントを混ぜ合わせた壁とセットで、現在その壁にはペイントが施されて、面白味を増している。塩田は興逹発電所が生み出す石炭灰によってその品質が下がってしまい、一九八三年には廃田とされた。元々原料として導入した海水と日増しに積み重なっていく泥が、意外にも塩作りをしていた瓦の道の上に湿地を生み出したのだった。
黄家の古民家
永安の街並みに隠れるように、完璧に保存された三合院(コの字型の伝統住宅)の古民家がある。出入り口は天后宮の斜め向かいで、その小さな規模からついつい見逃しかねない。この古民家は、かつて永安郷長であった黄清日氏ら黄一族が暮らす家であった。一九三〇年の落成時、家を建てた黄団氏は大金を払って、当時名を馳せていた画家潘春源氏を招き、居間の壁に八幅ほどもある生き生きした歴史物語を描かせた。壁に描かれた絵は時を経て徐々に色褪せていき、民国五十一年(一九六二年)に潘氏の息子で廟絵師であった潘麗水氏を招いて修復させた。現在も「蘇武牧羊」の壁画には、潘麗水氏の落款が残っている。家に足を踏み入れれば、居間を取り囲む壁画に驚かされるはずだ。その筆遣いは流れるようで、色合いは非情にきめ細かく、思わず目を離せなくなる。居間から出れば、左右伸手(護龍とも言われるコの字の上下部分)の上にある透かし彫りの屋根や模様入りのタイルが見え、古民家の優雅さを感じられる。
夕方になれば、雲間から永安区の静謐さを感じるとれる。川の隣では百歳を越えたマングローブが頭が垂れ、養殖池は夕日のなかきらきらと輝いている。永安の温かみのある生命力はこうした細部に宿っている。のんびりと何もしない日、時間や目的などを考えることなく、永安のこうした静かな風景のなかに溶け込んでいくといい。 永安区を知る:https://yongan.kcg.gov.tw/en/Default.aspx